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第1回塾長・阿部泰志編

僕らもみんな出来なかった

「心の時代」2004年5月号より

授業が終わったあと、○○君に××をどう教えるか、どう分ってもらうのかということで話が盛り上がっています。模擬授業をやってもらうことは度々です。生徒役を私がやりながら、色々指摘をしているわけなのですが、「学力が低下した」「自分で考えなくなった」「教科書を読んでいるのだろうか」「学校の授業が残っていない、ほとんど白紙の状態に近い」などという声が、特に高校部の講師から上がっています。

模擬授業を見て私が講師各位に指摘したことは、「ある程度分っていることが前提になっているのではないだろうか?」ということでした。しっかり分っていないことを前提にして、教え直したらどうだろうかということを話していました。

その時、「いや、実は僕は高校の授業、特に理系の授業は全くわかっていませんでしたし、残っていません」とM先生。「僕は他の教科は自分である程度出来たのですが、英語は苦労しました。だから今もやっているのですけれど」と鉄人・水谷先生。

よく、大人になってみると都合の悪いことは忘れた、自分はそうじゃなかったと子どもを見て思いがちですが、私にはできなかったことがたくさんありました。

小学校3~4年生の時でした。担任の先生と全く合わず、とうとう授業に耳を傾ける気にもならなくなりました。当然、その間の学力はついていませんでした。そうこうするうち5年になると、教科毎に担当の先生が授業をされるようになりました。ある時社会の先生が「みかんはどこで一番採れるのか」という質問をされました。私は手を挙げて答えました。「伊保木です」。

みんなどっと笑いました。「伊保木」とは地元山口の瀬戸内海に面した地域です。段々畑にたわわに実るみかんが、私には浮かんだのです。私は大真面目でした。そのとき先生は爆笑するみんなを抑えて真面目な顔で「地元のことをよう知っちょる(知っている)」と誉めてくれました。私はそれから社会だけは自分から予習をするようになりました。

中学では英語は全くいやな存在でした。先生は日本人でしたが授業はすべて英語でなされ、朝、ラジオの基礎英語を聞いて授業に来ることは当たり前でした。生徒は英語の名前を付けられ、その名で呼ばれました。私の名は「アルフレッド」です。「何がアルフレッドじゃ!」と思いましたが、先生はご満悦のようでした。授業はといえば文法の説明も全くなく、教科書は使わず(当時文部省が実験的に行った授業だったらしいのですが、こちらは大迷惑)毎回分らないことの連続でした。しかしそんな授業でもちゃんと理解してついていく人はいるのですね。驚きでした。

私はある時珍しく、先生の英語での質問に「これは分ったゾ」と思って手を挙げました。先生も「ほぅ、珍しいなぁ」といった顔で私を当ててくれました。答えは「I don’t know ~ .」という文だったと記憶していますが、私は「I don’t know.」だけしか頭に残っていませんでしたので、そう答えました。ちなみに「I don’t know.」は「わかりません」という意味です。

「あほぅ! 分らんのに手を挙げるな!!」と、先生は烈火のごとく怒りました。私はそれ以来「英語なんか勉強するものか、どうせ外国に行くわけでもないのに」とひがみました。(皮肉なことに大学を出たあとに外資系企業に入りロンドンで暮らすことになったのですが・・・)

別の日、「何か質問はないか」という先生の日頃に無い優しい声に思い切って手を挙げました。「先生、この”s”はなぜついているのですか?」と日本語で質問したところ、この時もまた先生はひどく怒りました。「今ごろ三単元の”s”が分らんのか!」と、日本語で怒鳴りました。私は一応三単元(三人称・単数・現在形)の”s”は分っていたのですが、なぜ三単元には”s”がつくのかを知りたかったのです。この時は「もういいや」というより、「もう二度と手を挙げんゾ」と思いました。

こういった経緯もあり、英語・英文法は嫌いだったし、出来ませんでした。「文法」という言葉を聞くだけで寒気がしました。ですから高校に進学しても文法は毛嫌いしていましたし、勉強しませんでした。しかし大学受験に英語は必須です。やはり英語はできるようになりたい・・・。高校生の私は考えました。

私の育ったところは山口県の光市、瀬戸内海と山にはさまれた静かな町です。塾や予備校など当時はありませんでしたから、自分で勉強するしかありません。最初は単語を覚え、それから熟語を覚えました。英文を見て、どんな内容か考えました。文法的にどうのこうのより、その英文が何を言いたいのかを時間をかけて考え、自分なりの解釈が出来るまでやってみました。

英語の評論を読んでいたわけですが、やはり時間はかかりました。ラッセル、モームなどです。それを繰り返しているうち、少しずつ英文が読めてきました。やがてテーマを見抜き、そこから考えることもできるようになりました。そして700編の英文を1ヶ月かけて暗記したのです。その中には時制などの文法が当然入っていて、それらは自分の感覚として体に染み付いていきました。苦手だった英作文も「どの表現を使おうか、この方がカッコイイな」などと余裕さえ生まれてきました。そこに「ひたすら暗記シリーズ」が生まれた要因があるかもしれません。

私には特別な才能はありません。だから決めた事をやり抜かなければ出来るようにならないと、当時から思っていました。友人の中には問題を見ただけでわかる天才もいましたが、私は決してそうではなかったのです。手を使わないとダメでした。この1冊と決めたらとにかくやり抜くしかない。一日1ページ、二日目は前日やった分と本日分、三日目は1~3ページというように、全て通して暗誦して書けるまで—-それが私のやり方でした。塾生の皆さんに「通してやってみろ」と言うのはここからきています。

三日やれたら体に習慣として残ってきます。それをやらないと何かおかしいなと自分で思えるようになるとしめたものです。

古典文法もいやでしたから、作者がなぜそれを書いたのか、書かざるを得なかったものは、そしてそれらを書くことで何を昇華したかったのかをテーマにして訳本を読んでいました。例えば「徒然草」。世を捨てた人が本当に何にもこだわらないと額面どおりに思うのなら、なぜ文章を書き、そして残すのだろう。書くことで何か自分の中にあるわだかまりを解決したかったのではないだろうか。そのわだかまりとは何か。そんな風に、私は自分なりに作者のテーマを見切ろうとしていました。少し遠回りであったかもしれませんね。

勉強のやり方は人それぞれです。私は自分なりのやり方を見つけましたが、それが誰にでも当てはまるとは思っていません。いろんなところで発見した、その生徒にとっていいと思うやり方はこだわりを持たず導入します。逆に合わないやり方は、押し付けても実になるものではありませんから早い段階で切っていきます。ですから今取り組んでいる学習法に自信を持って向かって欲しいのです。

そんなこんなでようやく入試を乗り越えたクチですから、私は決して勉強のできる子どもではなかったのですね。だからこそ、今も「どう教えたら分るのか」ということに対して人一倍関心がありますし、毎日勉強させていただいているのです。

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