2週間無料体験

高橋 一行 元明治大学教授

僕らもみんな出来なかった

僕らもみんなできなかった 高橋 一行 先生(明治大学政治経済学部教授) 編

もう30年以上も前のことだから、記憶は相当に好い加減である。小学5年生まで、私は勉強が良くできたが、6年生になって、親や教師に対して反抗的になり、あるいはもしかしたら社会のすべてに対して嫌になったのかも知れず、まったく勉強をしなくなってしまった。ところがタクシーの運転手をしていた父親は家には帰らず、母は私とふたりの弟と3人の子どもを抱え、忙しすぎて、私の成績が下がったところで、全然気が付いてくれず、担任は、生意気な私を嫌っており、私の反抗は空回りし、いよいよひどくなって、そのまま中学生になると、もう私は本当に勉強をしなくなっていた。国語と数学は今までの蓄積があるから良いのだけれども、英語はことにひどかった。そうして私は高校進学の気持ちはもうすっかりなくなって、中学を卒業したらすぐに寿司屋に丁稚奉公に行くことをひそかに決めていた。誰も私の進路について気を使ってくれなかったから、今は住宅の密集する千葉県船橋市の、当時はまだ自然の残っていた町中で、犬と鶏と兎を飼って、彼らのみを話し相手として、それはひとりで心に決めていたのである。

中学2年生の11月、それが突如変わった。我が家は夜逃げをすることになったのである。すでに借金取りに追われて父はどこかにいなくなっていた。母は、家を売り払って、親戚の家に逃げることを決めた。そしてそのことが借金取りに知られてはいけないので、誰にも内緒で、母と長男の私だけで数週間後の決行に備えてその準備を始めた。まもなく期末試験が始まるときだった。

私はそのときに初めて自分の人生について現実的に考えることになった。このままでは高校に行くことはできない。中学すら卒業できるかどうか分からない。今後どこで生活するのかさえ分からない。住民票を移せば、居所がばれてしまい、しかし住民票を移さなければ、学校に行くことはできないからだ。あちらこちら流転の人生になるのかもしれない。そう思うと、私は急に勉強がしたくなった。誰も私を助けてはくれない。今後どういう環境に放り込まれるか分からないが、どんな環境であれ、自分を助けることができるのは自分だけである。チャンスは最大限活かさねばならない。勉強できるときは今しかないかもしれないのだ。今、勉強しておかないとならない。今、勉強しないと生涯、もう勉強する時はないかもしれない。

そう思って、迫ってきた期末試験の勉強を私は始めた。本気で勉強を始めた。理科と社会は集中して教科書を繰り返し読めば、これは一番容易に点数を上げることができる。国語と数学はもともと得意だから、気持ちが引き締まれば、それだけで点数は取れる。英語は、先にも書いたように苦手だから、これはすぐにはできるようにはならないが、それでも教科書を繰り返し読めば、何とか平均点は超えられる。範囲の決まった期末試験ならば、文法を理解していなくても、とにかく教科書を読んで、丸暗記してしまえば、人並みの点数は取れるのである。そうして確か、5教科で300点くらいだった成績を100数十点ほど上げることができたのである。それは私の大きな自信となった。

期末試験が終わってほどないある日、私はいつものように学校に行き、その日に転校することを級友に伝えた。担任にだけは事前に相談してあり、担任はその日の授業のひとつをつぶして私のお別れ会を開いてくれた。午後に私は家に戻り、その夜、母は私たち3人の子どもを連れて、文字通りの夜逃げをした。

そののち、しばらく埼玉の親戚の家に身を隠し、それから私たちは東京に来た。母は父と離婚し、何とか勤めを見つけて、しかし足りないところは生活保護を受けて、私たちは生き延びた。安い家賃の家を求めて、荒川は東尾久、西尾久、足立の小台、北区は田端と転々と引越しをした。そうして私は勉強したいと次第に強く思うようになって、そうして勉強したいと思うようになると、実際には参考書を買う余裕もないし、家にはまともな机もないのだけれども、不思議と成績はどんどん上がるのである。自分の人生は自分の力で生きていかねばならない。厳しい世の中を生き抜くのに、頼れるのは自分の力だけだ。そういう当たり前のことに気付くことができれば、そうして日々精一杯努力して生きて行こうと思えば、それだけで学力は上がる。まもなく奨学金をもらって、都立高校に行く道が私の前に開かれた。

話はそれだけである。しかしこれは特殊な話ではない。その後、私は塾を経営し、たくさんの中学生を見てきたが、中学生というのは、勉強しようと本気で思うだけで、実はそれだけで成績が上がるものなのである。少なくとも勉強したいと思えば、学校の授業は注意を集中して聞くようになる。さらに、ここが大事なのだが、何とかして成績を上げたいと思えば、能動的に取り組んで、英語でも数学でも自分の頭で理解しようとする。自分の力で必死に取り組めば、実は勉強しなければならない事柄はそれほど多くはない。やる気が大事であって、勉強の仕方は、試行錯誤を経て、後から身に付いてくるものである。つまりやる気があれば、勉強の仕方が下手であっても、次第に自分で工夫ができるようになる。だから本当に自分で勉強しなくてはならないと思うかどうかが、すべてだと思う。私は何人もそういう決断を自ら下して、成績を上げた中学生を見てきた。理由はどうあれ、自分で勉強しなくてはならないと思うと、中学生くらいの年齢ならば、たいてい何とかなる。そして昨年は、私の末の息子が、中3の11月になって、内申が悪いから志望する都立高校に行かれないと分かって、それから私立校に目標を定めて、猛烈に勉強を始め、結局、最初の志望校であった都立高よりもずっと難しいとされている私立校に合格した。親馬鹿でこんなことを書いているのではない。若いときは、実は誰もがそういうことが可能なのだと思う。

コンテンツ一覧に戻る

2週間無料体験、随時受付中